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味わって感謝していたら環境が変わったのはなぜか

taikiyggoffice

教育の横道の続き:::::::
(味わって感謝していたら環境が変わったのはなぜかの続きから)

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(サイコセラピーのようなワークでは、自分の内面が変わると、環境だったり、人との関係だったり自分の外側が変わると説く。それに関連したコメントから。)
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心理学なんかでは、無意識の部分の話を扱う流派があって、シャドーやトラウマなんかの話が出てきたりするのですが、実戦でやればやるほど、自分の中にホントに無意識層の汚れやトラウマが存在しているのかどうかよくわからなくなるんですよね。

頭で考えると理路整然とするんですけど、感覚的には内か外かどちらでもよくなるような気がしていてます。

以前、言語学の背景を身につけたく、比較宗教をいくつかの宗教にお世話になり勉強してた時に、とある宗教の先生がいっていたのを思い出すのですが、

「すみませんというのは、心がまだ澄んでいないから、すみませんという。心が勉強をして澄んでくると、相手の心が鏡のように自分に映るようになる。」

そんなことを言っていた記憶がよく残っています。

そうすると、心理学と言えば出てくるユングやフロイト、アドラーなんかも結局同じことを言っているような感じになってしまう。。。

もちろん、プロセスと枠の切取り方が違うし、理論にする時点で全体性の中のどこかを切り取らなきゃならないというのはわかるので、言葉での記述の限界という制限がつきまとうのでしょうけど、、、ね。
他の投稿や背景が飛んでいるのでわかりにくいけれど、こんな話が出ていました。なんかほんとは、もっとなまめかしくて、ドロっとしたところもあるのですが、こっちにそこをシェアできないのが残念!いずれまた分かりやすくシェアできるように精進します!